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法話図書館 【佐藤俊明のちょっといい話】ブログ

平成8年から法話図書館で連載された佐藤俊明(さとう・しゅんみょう)先生のちょっといい話 ブログ版です。携帯電話からも見られます。
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第88話 6/7の功徳
 「人は亡き父母祖先の為に霊膳をあげ、茶湯を献ずるが、少しも減っていない。それでも供養は届くのか?」
という後醍醐天皇からの御下問に対し、瑩山禅師はこう答えている。

 梅の花は垣根を隔てても匂ってきますが、花にはなんに変化もありません。
 また私どもの花にもなんら跡型も残りません。
 心が通うということはまさにこのようなものです。
 供養は目に見える変化のあらわれを期待するものではなく、それは雨露が自然に草木をうるおし育てるように無心に行われるべきものであります。
 霊はまごころであります。
 いま一つ例を申し上げますと、私どもは手紙を読んで相手の用向きを知りますが、文字や紙は少しも損耗しておりません。
 このようにまごころさえあれば念ずる精霊に供養は届くのであります、と。

 父母祖先の霊に供養しても目に見えて即物的に反応が跳ね返ってくるわけではない。
 だから供養に無関心な人が多いのである。
 しかし、『地蔵菩薩本願経』に亡くなった人に供養すると、七分の一が念ずる精霊に届き、
「六分の功徳は生者自ら利せん。是を以っての故に未来現在の善男女等聞け、健やかなるとき自ら修せば分々に己に獲ん」
とある。

 雨露が自然に草木をうるおし育てるように無心に供養せば草木の成長と同じようにやがて大きな果報が与えられるのである。
 供養はしてあげるものではなく、させていただくものであり、その功徳ははかり知れない。
| houwa-sato | ちょっといい話 | 11:52 | comments(0) | - |
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